ひな祭りでポン(パネポン団体戦)に参加しての感想3月3日ひな祭りの日に行われたパネルでポン団体戦から、はや8ヶ月。非常に遅くなってしまったのですが、僕の個人的な感想を書くことにしました。 今回のイベントは、ウチの掲示板に「団体戦がやってみたい」という書き込みがあったことから始まりました。 セイカでポンのメンバーも、イベントの成功にむけて、いろいろやりましたけれど、主催者ということではなく、呼びかけ賛同人みたいな感じで、団体戦やりたい人たちが集まって、みんなで作ったイベントだったと思います。だから、今回は公式レポートではなくて、僕の個人的な感想ということで書いてみます。 ※とはいえ、すでに8ヶ月。もともと鳥頭なので、手元に残っている資料をもとに記憶を呼び起こしながら書きますので、間違いがあったらごめんなさい。笑って、指摘してくださると、ありがたいことこの上なしでございます(^^; ことの始まりことの始まりは、掲示板に書き込まれたPRINCEさんのメッセージでした。だが、悲しいかな過去ログを紛失してしまって(泣)、どんなメッセージだったか正確にわからないです。たぶん、「セイカでポンまたやらないんですか?パネポン団体戦やってみたいですね〜。」というような内容だったと思います。 パネポン団体戦 この言葉が僕の琴線に触れまくり。ビビビっときてしまった。 思えば、セイカでポンの各大会って、トーナメント方式で腕前ごといレベル分けしてトーナメントをやるという方式でやってきた(第1回を除く)。そのため、第3回とか4回のときには、この対戦方法でいいのかと、さんざんモメた思い出が。(第4回公式ガイドブックのtomozouさんのマンガにも載ってます。) いろいろ案は出たけれど、さすがに団体戦とは思いつかなかった、柔道みたいにやるのだろうか?やっぱし、大将は強い人に?などなど、その書き込みを見ていろいろ思い浮かんできてしまって、「そいつはおもしろいっすね〜。ぜひ、やりたい人集めて団体戦やりましょう。」みたいなことを思いっきり書き込んだ(ような気がする。) で、その後は、たぶん様々な苦労が・・・っと全然そのあたり覚えてないんです(^^; ただ、他のスタッフに相談せずに答えちゃって、話が大きくなったので、ちょっと怒られちゃったとか、今回は最小限の労力で、なるべく僕らも一参加者として楽しめるようにしたいと思って、参加者の方に機材の提供をお願いしたり、場所とりが大変だったけど、「京都教育文化センター」という名前のトコだったので、「パネポンもついに文化に」というような書き込みがあったり(笑)、毎度のことながら、今回そんなに宣伝してなかったのにどんどん参加者が増えて会場に入りきれるかどうか冷や汗モノだったり・・・あ、けっこう覚えてるもんだ(^^; そんなワケで、各方面にご迷惑おかけしながらも(本当にありがとう)、無事当日3月3日ひな祭りの日もといパネポン団体戦の日を迎えたのでした。ちなみにこのイベントの正式名称もあまりハッキリしてなかったので、「パネポン団体戦」と「ひな祭りでポン」の2つの呼び名があったようです。 団体戦の概要イベントのルールなどは、こちらをご覧ください。 参加者紹介はかなり届くのが楽しみでした(^^; 開始の前に当日の会場は、静かに張り詰めた空気。まだ、けっこう冷え込んでます。 この会場、宿泊施設も兼ねてるせいか、旅館みたいに利用団体名を黒い板に書いて並べてあります。どこで何があるのか一目瞭然で便利です。 で、申し込みの際には、何ていう名前で借りるのか悩みましたが、やっぱりココは開き直って、愚直真っ直ぐストレートに 「パネルでポン団体戦」 って書いてもらいました。 どんなことやるのか受付のおばちゃんに説明するのがひと苦労だったんです(^^; さて会場の定員は公称40人。 6チーム×5人=30人で、すでにかなり狭く、個人参加の方も加わって、かなりギュウギュウでした。 でも、会場が狭いぶん、対戦を後ろから見てる人たちで一体感のようなものがあり、異様な盛り上がりをしてましたね。 参加チームは6チーム
いや、もう凄まじい団体戦でした。 パネポン同時消し世界記録保持者を擁する東京からやってきた最強のパネラー集団「花の40年代チーム」 VS 英之真さん率いるパネルミネ百貨店 の闘い。 事実上コレが決勝戦でもおかしくなかった。 40年代チームが中堅の時点で、パネルミネは大将とこのまま40年代圧勝かと思いきや、大将の英之真さんの凄まじいまでのパネル捌きでとうとう大将どうしの闘いにもつれこみました。 その大将戦1本目 カンスト(9分59秒を越えてカウンターがストップ) 引き分け 見てるこっちの頭が酸欠でフリーズしそうです(笑) ルールどおり両チーム1人をだして、最終勝負! つもりさん VS 英之真さん1本目 カンスト 引き分け さすがにココまでの事態は予想してなかったので、特別ルールを急遽作りました。 LV9の一本勝負! 英之真さん連戦の疲れもあったでしょうに、よくぞここまでがんばらはった。 この他にもたくさんバトルがあったのですが、なにぶん記憶が・・・。自分の闘いも最後の試合ぐらいしか覚えていないような(^^; ただ、どの試合でも後ろのギャラリーからの暖かい(?)声援が飛んで、会場が緊張と笑いのミックスゾーンと化していたのはたしかです。団体戦ということで、野次、アドバイス、激励などをアリにしたのは大成功だったと思います。 で、結論を申し上げますと、セイカでポンチームがなんと優勝。優勝できたのは、トーナメントの組み合わせのいたずらとしか言いようがないっす(マジで)。 そして、表彰式。今回はIS社の方から、素敵な賞品をいただきました。 1996年に使われたリップのイラストの入った年賀状。 スタッフの方にサインまでしてもらった人もいましたな(^^; ここでいちおうイベントとしては終了して、その後はフリープレイに。 海外版「パネルでポン64」=「Pokemon Puzle League」も、用意されこころゆくまで対戦が繰り広げられました。 私は、mopさんに「ちっちゃいエイリアン」をいただき、遊び方を教えてもらいました。(mopさんありがとうございます) そして、終了予定時刻も過ぎる中、少しづつみなさん帰っていかれ、無事イベントは終了しました。IS社の方と花の40年代チームはその後、飲みにいかれたとか(^^; 今回過去のメールをひっくり返してみて、いろんな人に出会えたし、力貸してもらったイベントだったなぁと思います。セイカでポンのメンバーにも、多謝。 にもかかわらず、感想書くのがここまで遅くなってしまったのは、本当に申し訳ない気がしてました。レポートは構えて書こうとするので、イベント終了後の燃え尽き症候群から回復してもなかなか手をつけれませんでした。もっと早く、こういうふうに個人の感想で書いとけばよかったのかも。でも、結局レポートっぽくなってしまいましたけれどね(^^; 最後にパネポンを通して、人と交流することができるというのは非常にうれしくて楽しくておもしろい経験です。もちろん、いろんな苦労や困難にぶつかることもありますけど、いっしょに楽しんでくれる人たちとなんとか乗り越えてやり遂げた達成感は本当にすばらしい。 人間、自分の好きなものを通して、人と交流することができるというのは生きていく上で本当に大切なことだと最近つくづく思います。僕らがこれだけセイカでポンや今回の団体戦でやってこれたのも、やはりパネポンというゲームが大好きだからなんでしょうね。 「本当にこのゲームを作ってくれてありがとう」と、もう一度言わせてください。 読んでいただいて、ありがとうございました。 2001/10/28 exit記 |